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You raise me up


知らなかったんだ。
雨の音がこんなにやさしいものだなんて。
ひかりがこんなに温かいなんて。

空を見上げてまぶたを閉じると、誰かが俺を呼ぶ声がきこえる。
雑踏の中で立ち止まって、訳もなく泣きたくなる。

知らなかった、知らなかった。

彼女に、会うまでは。

You raise me up
So I can stand on mountains
You raise me up
To walk on stormy seas

足元で、濁った水たまりが、俺のスニーカーに踏みつぶされて音を立てた。
シーズンを過ぎた落ち葉が水の中で醜く変色している。
その色を見下ろしたほんのわずかな隙に、俺の横をアジア系の女性が早足で通過していった。
今日もロンドンは雨が多い。きっと家路に急いでいるんだろう。

「I am strong,when I am on your shoulders……」

見上げた空はまったくもっていつも通りのチャコールグレー。
また一降り来そうだな、と俺は用心して、ヘッドホンをした頭の上にパーカのフードを被りなおした。
やれやれ、せっかく今日ははやく帰れる日だってのに。これじゃあ散歩もできなさそうだ。

ふう、と短く息を吐いて、目を閉じた。
そうすると、聴こえる気がする。彼女の声。
こんな風に寒い、つめたい雨の日に、傷つけてしまった、あの子。


You raise me up(あなたがいつも応援してくれるから)
So I can stand on mountains(私は山の頂にだって立てるの)
You raise me up(あなたが励ましてくれるから)
To walk on stormy seas(嵐の海さえ超えてゆける)

You raise me up,to more than I can be......
(あなたがいつも助けてくれるから、私は私をあきらめないでいられるのよ……)


これは彼女の歌だった。彼女がその曲を奏でているから、というだけの理由ではなく。
あいつは俺にこの歌をくれた。
自分を励ますこといっさいを放棄して、ただ、ただ俺にこんな感謝をくれた。

はじめてだった。
誰かに必要とされたのは。俺にもできることがあるんだと知ったのは。
そのことが信じられなかった。

信じられないくらい、嬉しかったんだ。

今は遠い空の下にいる彼女は、知っているだろうか。
俺が同じ気持ちを彼女に対して抱いているということ。
その感情があまりにも大きすぎて、捨てることも忘れることもできずに、途方にくれてしまっていること。

今なら言える。
いまなら、きっと、彼女を。
喜ばせて、笑顔にして、抱きしめることができるだろう。

けれどそれはきっとかなわない──だから。

だから俺は頑張るしかない。
あいつがくれたものを手に、前へ。迷いながらも進むしかない。
それは愛しく、辛く、時として絶望の道のりにもなり得るけれど。
俺にとって幸運なことだから。

「You raise me up,to more than I can be......」

お前がいたから、俺は俺を超えていけるんだ。
なぁ、知ってるか?
お前がいたから、今の俺がいるんだよ。

覚えていてくれ。
俺の事は覚えてくれなくてもいい、でも。
俺の感謝を。

俺の言葉を。

「……さ。帰るかな」

スニーカーの足元をきゅ、とひねり、俺は再び歩き出した。




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