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悲しい


やっぱり、あたしの中で寂しい=悲しいかもしれない、と思った今日この頃。
心を尽くしても、伝えることすらできないのなら、何の意味があるのか。
届けたい気持ちも、聴きたくないのなら、成立はしない。

人と人がべつべつに存在していて、だけど言葉というものを持っているから触れ合って、通いあうことができる。あるいは、言葉がない場合もあるんだろう。きっと。けどあたしはまだ言葉に頼っている。言葉を信じている。
表情で、笑顔で、伝えられる時もあるだろう。でも駄目なんだ。あたしは。
ちゃんと知りたいし、知ってほしいと思うし、靄がかかったままでは、なにひとつ真実は知れないと思う。

真実が、いつも欲しいんだ。
でもそのスタンスを、否定されたら、もう何も言えない。
他人からみれば確かに、それは煩わしいだけなのかもしれない。
でも痛みを恐れていては真にはなにも知り得ない。そうじゃないか?

そうじゃない。そういうあなたのやり方は、人を傷つけているだけだ。

そう言われたら、あたしはどうしていいかわからない。
あたしにとってのコミュニケーションっていうのは、そういうもので、いつも全力で、嘘なく、真正面からぶつかっていきたいと思っている。だから自分も、探られるのは構わないし、痛みも厭わない。
たぶん、それが問題なんだろう。
あたしは痛みを厭わない。だけど、人は痛みをきっと厭うのだ。当たり前だ。
だから疎ましがられるのだ、この、在り方が。生き方が。触れかたが。喋り方が。

何もかも。
ああ、こう言う時、自分で自分を信じるのってなんて難しい。
信じちゃいけないのかもしれない。あたしが悪いのかもしれない。治さなきゃと、思う。わかっている。
でも、じゃあ、どこまで自分を崩せばいいのか。どこまでは、守っていいのか。
それがちっともわからない。

あたしがあたしでいることはいけないことなのか、と。
考えてしまうことはとても苦しいことだ。でも、ちゃんと考える。ずっと考えている。
さびしいけれど。とてもとても。悲しいけれど。

人を信じるのも、怖くなってしまう。でも、きっとあきらめちゃだめだ。
諦めたら、そこで何もかも終わりだ。なにもはじまらない。

でも、終わることは、嫌いではない。

それがあたしの最大の問題なのかもしれない。








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